検索
  • 松尾曜子

赤紫蘇

シソ科シソ属




庭や畑に、蒔いた記憶のない草花の芽が出てくる、というのが好きだ。



予期せぬ出会いはプレゼントのようでもあるし、


この草がどんな成長を見せてくれるのか思うととても楽しみになる。


と同時に、


この土地は私のものでは無いということを再認識するようで、


つい傲慢になりそうな自分を引き戻してくれる、


ということにホッとしているのかもしれない。




だから大きくなると面倒と言われる雑草でも、


抜くのにためらいのある私は、草むしりという作業が苦手…。

(草刈りの方がまだ…)


ほったらかしで盛りっとしている裏庭に

今年は一株の赤紫蘇が出てきた。

何らかの経緯があってそこに根を張ったのか、

はたまた、引っ越してくる前からそこにあった種が人知れず世代を繋いできたのか。


真相はわからないけれども、


赤紫の葉と小さなショッキングピンクの細かな花が


緑の草が茂る中でとてもよく映える。


シソ科の植物は古今東西、世界中で人との関わりが深くある。

ハッカ、ミント、ラベンダー、セージ、ローズマリー、バジル、等々…。

シソ科の多くは、精油を含み、香りを有する。

中でも紫蘇は古くから日本にあり、縄文時代にはすでに食されていたと言われている。

紫蘇という名前は、漢名から来ており、


蟹中毒を起こした者が紫蘇を食べ蘇ったから、という説が多い。


この紫蘇とは赤紫蘇であり、そのため「紫」の字が入るということだ。

そして、赤紫蘇の色はアントシアニン系のシアニジンが多く含まれ、

これがアレルギー症状を抑える抗ヒスタミンの成分になる。




形態は、規則正しい十字対生の茎葉。


そして花穂につく花まで、十字対生で咲いていく。


実のつき方も規則正しく、


ひとつの房の中に、円を4分割してきちんと収まっている。


この特徴は他のシソ科の多くも同じものを持っていて、


シソ科と十字は強く印象付けられている。


また茎の断面は四角形で、


さらに紫蘇は根元の方が、四辺の辺の中心に溝が深く入っていき、


これまた十字の断面になっている。





葉の形は、シソ科の中では大きめで、


ギザギザの鋸歯が入り、厚みは薄く、


表面の毛も多い(日光が強いところでは特に毛が多い傾向がある)。

紫蘇はどうも風の印象を感じる。


私の感覚的すぎる観察では確信的なことは言えないのだけれども、


日本の風土によく適応している植物は、風の要素が割と重要に感じる。

湿気が多く、腐りやすい気候の中、


風通しという機能が発達しているように感じることが多くある。


赤紫蘇を見ていてもやっぱりそんなことを思った。

さて、シソ科の十字について戻るけれども、

シソ科の中に、なぜこんなにも人間の薬草となるものが多いのか、


前々から不思議に思っていた。


そのことについて、最近ひとつの考えが浮かんでいる。


人間は、前後左右の感覚がある。

顔がある方が前で、背中側が後ろ。


顔を北に向けて太陽が登る方が右だし、沈む方が左。

この感覚は、体があるから感じ取れる感覚。


シソ科が人間の薬用になることが多いのは、


人間特有の十字の感覚と共通するものをシソ科が持っているからなのかな、


と推測している。


また、四季についても十字との関係があると思う。


十字の「時」の感覚。


本当は地球規模で見てみれば、四季なんてそもそも無くて、


まるっとひとつなんだけど、人間の十字の感覚になるとそれが分裂していく。


最初からひとつのものだし、別れたことがないはずなのに、


人間の感覚では分裂しているように感じる。


だから矛盾が生じていく。


その矛盾の中で、バランスが必要になるとき、


シソ科の効能が役立つのではないかと感じている。



その上で赤紫蘇は、


アルレギーを抑える抗ヒスタミンの成分を持つシアニジンの色素を持っていることから、


体内で分離が起こっているものに調和を持たせ、


「ひとつ」という概念を促してくれる薬草なのかもしれないな、と思っている。








___余談だけど、

この間ふと、だから俳句には季語を使う決まりがあるのかな、と思った。

人間であることを味わい楽しむ遊び。

四季を味わうことは、人間を楽しむこと。

 © 2018 草曜舎 souyousya 

  • グレーTwitterのアイコン
  • グレーInstagramのアイコン